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今:悠々自適な気分。将来:ホンモノの悠々自適。
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 ほんた。ニューヨークシティマラソン(The ING New York City Marathon)に参加、何とか完走してきた。旅行記は追って書くとして、大会に参加した記録を残しておこう。

世界でも有数の規模と人気を誇る、今年が40回目の大会。東京マラソン以上に当選が困難(ただし出場権とセットになった割高なパッケージツアーはあるが)とどこかのウェブサイトで見て、もし当たったら旅行ついでに走ろうと申し込んだら見事当選してしまった。大会の公式サイトから落選者を含む応募者の情報を見ることができるのだが、今年は日本から申し込んだほとんどの人が当選したらしい。

スタート地点はマンハッタンの南にあるスタッテン島(Staten Island)のフォートワズワース(Fort Wadsworth)。ここから、ニューヨーク市を構成する五つの行政区(ボロウ(borough)と言われる)すべてを通って、セントラルパークのゴールまでの42.195kmを、今年は43,000人以上が走る。

スタート地点までの足は、主催者側で事前に割り当てている。私はマンハッタン島の南端から出る6時30分発のフェリーに乗るよう指定されていた。フェリーターミナルまでは宿泊していたホテルから徒歩5分程度の駅から地下鉄で一本、30分ほどで着く。

5時に起床、テレビを見ながら着替える。天気予報でもマラソン開催に触れている。どうやら雨は降ることなく、気温もそこそこ上がるようだ。荷物を確認し、コンタクトレンズをつける。「朝は地下鉄の本数が少ない」という当たり前のことを後輩に指摘され、5時40分過ぎに慌てて出発。

タイムズスクエア(Times Square-42 Street)駅まで小走りで向かう。雨が上がったばかりのようで、路面が濡れている。マラソン参加者が荷物を預けるときに使う専用のビニール袋を持って駅に向かっている人が目に付いた。ホームへ降りるとちょうど電車が出て行ったところだった。ついていない。次の電車までもし15分待ったらぎりぎりだな。

ところが、次の電車が一向に来ない。20分経っても来ず、指定の時間のフェリーに間に合わないことがほぼ確定。まあ何とかなるだろう。ホームがマラソン参加者で混雑してきた頃、結果的に30分近く待ってようやくやって来た。

終点のサウスフェリー(South Ferry )駅に着いた時には既に6時30分。地上に出るとちょうど出発するフェリーが見えた。フェリーターミナルはマラソン参加者で大混雑。英語のほか、フランス語やスペイン語(と思しき言葉)が飛び交っている。次の30分後のフェリーへの乗船はそれほど待たずに始まった。特に割り当て交通機関が記入されているゼッケンのチェックもなく、私も問題なく乗船。すぐに出発した。途中、一昨日行った自由の女神の横を通り過ぎる時にはかなりの人がカメラを構えている。心なしか船体が傾いているような気すらした。

30分ほどでスタッテン島に到着。ここから貸切シャトルバスでスタート地点へ。ハロウィンの装飾を施した家が車窓に見える。すぐに着くと思っていたが15分くらい乗っていたのではないだろうか。

スタート地点に到着し、荷物チェックの列に並ぶ。これが他のイベントと同様、なかなか進まないが止むを得ない。私はここでかばんに入れてきた着替えなどを所定の透明ビニール袋へ移し替えた。最初からビニール袋で来てしまってもよかったな。


より大きな地図で 20091101-1 を表示

(つづく)

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 ほんた。

ニューヨークシティマラソン完走から一週間。湘南国際マラソンに参加してきた。

デカ氏に誘われて申し込んだのが4月だか5月だか。このときはまさかニューヨーク当選するとは思っていなかったので、二週連続でフルマラソンを走れるかテストすることになってしまった。しかもニューヨークでは右膝の痛みが発症した上での完走で、走る前から完走できる気がしなかった。一応、テーピングをして悪あがき。

朝二本目の電車で最寄り駅を出発。目的地が同じである乗客もちらほらと。小田急で藤沢へ出てJRに乗り換えるルートで向かったが、JRは通勤ラッシュ並の大混雑。ほぼマラソン参加者だ。交通手段がJRしかないから当然だ。大磯駅からウォーミングアップがてら30分ほど歩いて会場へ。この距離を歩けないようじゃスタートしない方がいい。途中でデカ氏と合流。膝は会場到着時にはとりあえず問題なし。

荷物預かりが大混雑、何とか預けてスタート地点に向かう途中で号砲。これまで参加した大会の中で、もっともしまらないスタートだ。さらに、スタート地点手前の簡易トイレに並び、用を済ませた時には号砲から15分以上経過していた。ところが、今頃スタートへ向かっているのは私たちだけではなく、ぱらぱらといるのだ。そんな私たちに突如大会スタッフの声「20分経つとスタートが認められません!」って突然言うかい!慌ててスタートラインへ向かって走り出す。私たちのスタートは実に号砲から19分以上経過していた。20分を過ぎてしまった人はどうなったのだろうか。

しばらくは自動車専用道の西湘バイパスを走る。キロ七分に近いのんびりペースでデカ氏と話しながら。デカ氏も腰痛からの復帰後初フルとあって、お互い記録とは無縁の大会なのだ。

私はスタート早々、ものの5キロもいかずに右膝に違和感。徐々にスピードを上げていくがキロ6分半までが限度。江ノ島の折返し手前あたりでデカ氏に着いていけなくなる。

折り返して早々、両足同時に鋭い痛みが走って足が止まる。一度止まるともう走り出せない。しばらく歩いていればよくなるかも、と淡い期待を抱いて歩く。

ところが、二キロも経たずに歩くことすら苦痛になってびっこをひくようになってしまった。これはダメだ。さすがに諦めて、沿道のスタッフにリタイアしてスタート地点へ戻るにはどうしたらよいか尋ねる。すると、「その先の交差点から茅ヶ崎駅行きのバスが出ているので・・・」とのたまう。私無一文なんですけど。「あー、じゃあ歩くしかないですね。」リタイアした人を回収するバスってないんですか?「無いみたいですよ。倒れちゃった人は何とかしているみたいですけど」

うそー。仕方なくびっこ引きながら歩く。回収手段がないっていうのは非常に疑わしいが、関門をクリアできなかったとしても歩いて戻るしかないなら歩くしかない。何とか27キロまで来たところで救護スタッフに声をかけられる。「もう歩くのは無理ではないですか?この先の関門にも間に合いませんので、やめておきませんか?」はいやめます。でも歩いて戻るしかないって聞いたので・・・「最後尾からバスが来ますから。」やっぱりバスあるんじゃないか。おかしいと思ったよ。

縁石に腰をかけてコールドスプレーをかけてもらってバスが来るのを待つ。やがて最終ランナーが通過し、バスが来た。満員のバスが通過し、すぐ後ろから来たガラガラのバスに乗る。座席に座れたのはついていた。その後、関門ではバスを待つ長蛇の列。乗れるだけ乗せた満員のバスがわずか数キロ先のスタート地点に戻るまで、マラソン大会開催に伴う道路渋滞で二時間もかかった。4時間半ほどでゴールしたデカ氏より相当遅れてしまった。

フルマラソン参加5回目にして初のリタイア。さすがに二週連続フルマラソンはまだ無理だった。参加賞Tシャツはもらえたものの、当然完走メダルはもらえない。誰もが身に着けている中で、自分には無いというのはなんだか悔しいものだ。

とりあえず、しっかり休んで膝を直そう。でも既にエントリーしているフロストバイトまでには何とか完治させたいところだ。

 ほんた。

来年1月に横田基地で開催されるフロストバイトロードレース(ハーフ)にエントリーした。今年はスタート早々故障して苦しいレースとなってしまったので、今度こそハーフ自己ベストをノルマとしたい。

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今後のレース参加予定:

11/1 ニューヨークシティマラソン(フル)
11/8 湘南国際マラソン(フル)
1/17 フロストバイトロードレース(ハーフ)
2/28 東京マラソン(フル)

あとは横田の前に一度くらい駅伝が入るかもしれないな・・・

 ほんた。

来年2月に行われる東京マラソンに、今年も去る八月に申し込んでいた。

今年は昨年を上回る8.9倍だし、さすがに二年連続で当選することはないだろう。同じ日に香港マラソンがあるので香港へ行こう。

帰宅すると、こんなメールが届いていた。

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このたびは東京マラソンへご応募いただき、誠にありがとうございました。
平成21年8月1日から8月31日の募集期間にて定員を大幅に超える申込みがあり厳正なる抽選を行いましたところ、当選とさせていただきました。
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あまりこんなところで運を使わなくてもいいのだが、来年も走ることになった。

 ほんた。

午前中、ランニングへ。小学校時代に住んでいた団地があと一年ほどで壊されてしまうという話を聞いて、久しぶりに行ってみようと思い立った。走って行けない距離ではないのだ。

20091012.png 住んでいた団地は江古田合同住宅という名前だった。その団地の裏にあった国立療養所中野病院の跡地がきれいな公園になっていた。江古田の森公園というのか。一周一キロ少々のジョギングコースが整備されていて、数人のランナーが走っている。団地は事前情報どおり空き家だらけ、ほとんど人の姿がない。私が住んでいた一室も空いていて、もう人が住むことは無いのだろう。その周囲をぐるぐると回ってみる。

通っていた小学校へ行ってみたら小学生がサッカーの試合をしていた。これなら校庭に入っても問題なさそうだ。父兄からの「何だこいつ?」と警戒する視線を感じつつ、校庭の外縁をぐるっと回って、よく野球をやった平和の森公園まで行ってみる。ここも私がいた頃より整備されていた。野球場では小学校3年生か4年生くらいだろうか、大きめのユニフォームを着た子供が野球の練習をしている。おお、覇だ。左胸にただ一文字、「覇」と書いてある。私が小学生の時からあったチームだ。一度も対戦したことはないけれど。

そういえば、私がいたチームはまだあるのだろうか。ちょうど帰り道だ、本拠地にしていいた丸山小学校(緑野中学校の隣。この中学校も私がいたときは十一中という名前だった。)に寄ってみた。着いた時にはやってないように思えた。が、先ほどの覇より少し大きめの子供、投手の球速を見るとおそらく最上級生チームではないだろうか、試合をやっている。私がいた頃とはホームベースの位置が点対称の位置に移動していたので、やってないかと思ったのだ。一方のチームは、ユニフォームのデザインこそ変わっていたがセネタースと書いてある。中野セネタース。私がいたチームだ。まだあった。懐かしい。しばし野球観戦。

「さあ帰ろう」と走り始めたところ、右足太ももの外側と同じ右足の脛の外側に痛みが走った。北海道マラソンのゴール手前で発症した痛みがまだ出る。歩いて帰るにはだいぶ距離がある。ちょっとペースを落として走っていれば何とかなるかな、と思う間もなく走れなくなった。野球で感じる肩の痛みと同じような痛みだ。今日は左足の裏の指の付け根(親指でいうところの拇指球のあたり。親指だけでなく全体なのだ。)の痛みもひどかったので、あきらめてのんびり歩いて帰ってきた。

外側、というと腸脛靭帯炎が多いらしい。膝ではないのだが、これなのだろうか。今年の年始の膝痛はCW-Xを履けば問題がないことがわかったが、この痛みはこれではダメなことがわかっている。ニューヨークまであと三週間を切っているが、もう前日のフレンドシップランまで静養しかあるまい。

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